LGBTは仏教的にどうなの?~主観だらけのLGBT論にうんざりしてる当事者の方々へ~
近年LGBTが市民権を得て、発信する方々が増えてきております。
多様な価値観を認める事は素晴らしい事だとは思いますが、仏教的にはどうなのでしょうか?
LGBTの定義を調べていくと、個々人によってその主張・認識にかなり相違があると感じてしまいます。
政治的主張や感情的主張も入り交じり、果ては当事者が置き去りにされてLGBTという運動そのものが目的なんじゃないか?と思ってしまう主張さえあります。
SNSでLGBTの運動や主張する方々に素朴な疑問を投げかけても、相手へのレッテル貼りや攻撃的で感情的な決めつけをされて議論にすらならない…そんな光景を見るたびに辟易している方々も少なくないと聞きます。
ここではそういうLGBT定義や主義思想の件は置いておいて、シンプルに仏教という宗教面から当事者に対する問題を見てみたいと思います。
■ 戒名の問題
戒名は、男性と女性で異なります。例えば多くの宗派に見られてるのは男性が「信士」「居士」、女性が「信女」「大姉」、浄土真宗においては男性は「釋〇〇」、女性は「釋尼〇〇」となります。
「戸籍上男(女)だが、戒名は女(男)として欲しい」という方が亡くなった場合、どうすべきでしょうか?
多くの場合、本人の強い希望が無ければ、そのまま身体の性別の戒名という形になってしまうでしょう。
仏教においては死後の世界に性の差別はない、という考え方のようです。
生前に、お寺様とよく相談し、自分の納得のいく戒名にしてもらうのが一番良いでしょう。
■ パートナー(同性同士)で一緒のお墓に入りたい
自分がパートナーと認めた相手と、添い遂げて同じお墓に入りたい。
そういう願いもある事でしょう。
その場合、どちらの家のお墓に入るのか?という事もございます。
もちろん、両方の家が合意して頂ければ問題ありませんが、お墓に入るという事は、当事者の親族も巻き込む事になります。
全ての人がLGBTへの理解があるわけではなく、やはり一緒のお墓に入って欲しくないという親族の方も出てくるでしょう。
話し合いで解決し、理解された上で埋葬して頂けるのが最もよいのですが、感情が先に出てしまうと親族間で拗れてしまう事もございます。
そういう場合は、パートナー同士で新しくお墓を持つか、あるいはご理解のあるお寺に対して永代供養して頂くといった方法が良いかと存じます。
■ パートナー(同性同士)で仏前婚を行いたい
これもお寺や地域によりけりですが、例えば川越市などは「パートナーシップ宣誓制度」を導入し、これに合わせて、同性結婚式を容認しているお寺も出てきております。
なんとLGBTを象徴する「レインボー数珠」「レインボー袈裟」などもあるのだとの事。
■ 最後に
どの宗教とは言えませんが、かなりの宗教が同性愛を罪・あるいは良くないモノだと見なす中、仏教の教義では「性別に捉われない」という多様性の尊重があり、同性愛に対しても比較的寛容であると言えます。
LGBTに異論や嫌悪感がある方々もおり、そういった意見を認めるのも、また多様性の一つです。矛盾に思えるかもしれませんが、どんなに思想を押し付けても、相手の嫌悪感までは消すのは難しい事です。
近年見るLGBT論争では、当事者の事情より、その思想や運動に重きを置いてしまっているような気がします。
本気でLGBTを考えるのであれば「悩みを持つ当事者」の声に傾聴し、現実的な問題の解決にはどうすべきか?
真面目に考えて行かなければいけないと思わずにいられません。
願わくば多様性を良い方向で認め、相互が共存できる社会を形成していければと願っております。